April 14, 2011

moved.

110415.jpg
2011年4月。
プロテスタント キリスト教会の教職者になるための学校に入学しました。写真は、校舎の中庭です。
突然の事と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、僕にとっては、紆余曲折ありつつも結局は自然にたどり着いた所、という感触も持っています。

音楽、デザイン、いろいろな事をやってきましたが、僕にとってその全てのインスピレーションの源流は聖書のことばであり、キリスト自身でした。

芸術を学んでいる方が、その思想の源流をたどり、キリスト教に行き着くのはとても自然な事だと思います。音楽の歴史、絵画の歴史、その全てにキリスト教は影響を与え、題材にされてきましたから。

僕の場合は、その逆に近いかもしれません。聖書に触れて育ち、反発し、考え、そして自分の「罪」という問題に立ち向かった時、聖書に、キリストに帰ってきました。
そんな中で行っていた、いわゆるクリエイティブな活動は、聖書を、キリストを表現するというテーマしか考えられなかったのです。

もちろん仕事という面があります。しかし、クライアントの意見を聞き表現する僕自身に聖書の源流が流れていますから、同じことですね。

これからしばらく、僕自身の原点である聖書、キリストについて、集中して学んでみようと思います。

創作的な脳(そういうものがあるのなら、そしてそれは学ぶことにおいてもとても大切だと思う)も動かして、バランスを取りながら、皆さんに、誰かに、価値あるものを発信していく者として成長していきたいのです。

そういうわけで、これからも、よろしくお願いいたします。

January 5, 2011

2011

110105.jpg

いろいろな事をやっているうちに、前回のブログ更新からなんと6ヶ月以上が経ってしまい、年が明けてしまいました。

あーあ。

かといってすごく立派なことも書けませんが、最近以前にもまして、限りある人生を何のために生きるかという事を考えます。

2011年に入り、年末年始の休みもあまり取れなかったのですが、せめてもと思って自宅の仕事部屋の、要らない物を随分整理しました。

今年は、もし許されるならまた新しい道へと踏み出そうと思っています。そして、生活もこれまで以上にsimpleなものにしていきたいと。

何もかも自分の手に抱えていると、人は抱えているものに潰されてしまいますしね。

それでは、2011年も宜しくお願いいたします。

関係ないですが、2010年、妻に一番いわれた言葉は、「ちゃんとして。」でした。

May 19, 2010

うちcafe [ co saji ] open

co saji

ずいぶん前に、うちでカフェをやりたいと書いたと思いますが。

やることにしました。

といっても。

これも前に書いたんですが、いつも開店しているお店ではなく、遊びに来てくれたお客さんにゆっくりしてもらうための、うちカフェです。

その名も[ co saji ] 。こさじ。かわいいでしょ。そう、このblogの上のほうにいる、アイツがシンボルキャラクターのこさじくん。

メニューも作ったですよ。今のオススメは「大豆のタバスコソースサラダ」と「牛肉のピンチョス」。それと、カフェらしくはないかもしれないけど「コサジエビチリ」はおいしいです。

もちろんコーヒーも。「こさじラテ」、いけますよ。豆も、「とあるお店」から仕入れています。

とまあ、いつもの「ゴッコ癖」でこんな事やってるんですが、こういうのが楽しいんですよね。
次はオリジナルのBGMをつくろう。

皆さんのご来店、お待ちしております(笑)。

April 29, 2010

不安と僕のオリジナリティ

調子が悪いな、不安だな、という感じが続く時がある。
原因はあれかな?これかな?といくつか思い浮かぶが、何かもっと心の奥で、重さを増している物がある気がする。

そんな時は、オリジナリティを忘れている、ということに気付いて我に返る。

オリジナリティといっても、デザインの仕事や音楽に関してだけそう感じるわけではなく、自分の人生全体のオリジナリティを忘れている、ということだ。

簡単に言ってしまえば、「自分らしさ」と言えるかもしれない。

でも、この「自分らしさ」は自分の弱さや罪深さから目を背けるための言い訳や、成長することから逃げる口実としての言葉ではない。

神と自分との個人的な関係においての、「自分らしさ」だ。

僕はクリスチャンだ。毎日聖書を開く。聖書は、神が聖書の登場人物一人一人に、個人的に、憐れみ深く関わったという記事に事欠かない。

その軌跡が、神が今日を生きる僕たちに同じように関わろうとしているという事を示している。
パレスチナの世界を歩んだ様々な時代の人々の、個人的な神との関係が時代をこえ世界を包んでいる。

神が僕に個人的に関わろうとしているという事を、見過ごせないし、見過ごしたくない。
そこには神と僕とのオリジナルな道があり、「らしさ」があると思うのだ。

それを忘れると、僕はとたんに誰かや、何かに寄りかかりたくなる。
積極性も、生活や作品のオリジナリティもなくなり、人まねで何とかしようとする小ずるい自分が出てくるのだ。
何かをつくりだす喜びも、アイディアの広がりも、毎日の瑞々しさも、臆病で小さくまとまった物になってしまう。

だから、この種の不安や、危機感は僕の人生にとって、僕のオリジナリティを取り戻す為の重要な道標だ。
そして、僕のオリジナリティは、神と僕とのオリジナリティだ。

この感覚は、僕を支えている大きな柱の一つだ。

March 31, 2010

3月31日

最近はTwitterばかりでブログの更新は久々です。

 

だからと言って、これを書こう!というネタがあるわけでもなく。

日本では明日から新年度。

周囲にも環境が変る仲間達がたくさんいます。僕もその一人。

でも、変らないものもたくさんある。

 

続いていく毎日と、「突然」に満ちた日常と。

日々新しくされることと、振り返れば導かれてきた道があることと。

 

そんなことを考える、2010年3月31日。